我が家の軌跡(奇跡)【6】
翌朝、又本社の車で送られ、総勢七人(親子四人と祖父、保健課長、保健婦)、新潟行きの寝台車に乗り一路新潟に。駅には救急車が待っていて新潟大学付属病院へ直行。個室に落ち着いた。付き添い婦さんを紹介され、やっと母娘は植田屋旅館に引き上げた。 わざわざ九州から付いて来て下さったお二人を佐渡見物に連れて行く事になり、翌日、妹は祖父と女中のみっちゃんに預け、母が案内役となり、私も一緒に佐渡に渡った。両津港に着くと父の実兄が出迎えてくれ、直ぐに観光バスに乗っての観光後、佐渡で一番のホテル、八幡館でご接待。私は勿論覚えていないが、その時の写真を何度も見ているので、保健課長さん、保健婦さんは今でも顔が思い浮かぶ。
母娘の植田屋旅館での暮らしは、最初の内は、貨車一台に家財道具、燃料の豆炭、薪、植木などを持ってきた為、喜ばれ、植木は旅館の庭に、豆炭はお風呂の燃料にと随分役に立ったようだが、それが尽きる頃から、植田屋旅館のおばあさんは愚痴をこぼすようになった。ひと部屋取られているので身入りがその分少なくなったとか、アレ達が来てから水道代が増えた、汲み取り料がバカにならない。と折り或るごとに奥村旅館(親戚)のおばさんにブツブツ愚痴っていたそうだ。奥村のおじさんが堪り兼ねて父の所に行き、“和子達をいつまであそこに置くつもりだ、可哀想で見ておれない。”と言ってくれた。
【つづく】つぎは やっと念願の家が見つかります
2018年5月6日 (日)
カテゴリー: こばやし明美先生ブログ