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母は箱入り娘【1】

2018年7月1日 (日)

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母、和子手記から昭和の田舎の情景とともに、母の可愛らしい生い立ちが目に浮かぶようで、病人を抱えて逞しく生きた母からは想像も出来ない、うらやましい位の少女時代。母は箱入り娘のお嬢様育ちだった。

和子、昭和2年2月26日 佐渡郡金沢村泉の北見角兵衛方離れに生まれる。
父伍蔵は泉小学校の教頭。母サクは何度も流産を繰り返した揚句の妊娠だったので、今度こそはと畑野で内科医をしておられ、学校医でもあった渡辺先生に協力して頂いて、やっと生まれた。渡辺先生と父はお互いに気が合って、兄弟の盃を交わした。(後に、渡辺家のお嬢さん英子さんと姉妹のようにお付き合いさせていただく。)
4月より父は小木町深浦小学校校長に転任。一家して移住。
深浦部落は海岸沿いにあり、小学校は高台にあった。人家は隣に(有田家)一軒だけあり、当主は有識者で、町長等を長年勤められた方で、ヒゲの長い温和な顔の人だった。奥さんと二人のお子さんの四人家族。
校長住宅は学校と屋根続きであり、ドア一つで繋がっていた。日曜日は姉(養女)と二人でよくドアを通り屋内運動場でボールで遊んだり、横ぼく等で遊んでいた。ある日、私が横ぼくに左手で捕まっているところを姉が無理矢理私の手を引っ張って肩関節を抜かし、大騒ぎになった時、お隣さん(有田さん)に治してもらったことがあった。
三歳の時、ハシカにかかり、小木町にしかお医者さんがいないため、小舟に乗せられて連れて行かれ、苦しいやら、舟に酔うやらで大変な目にあった記憶がある。重いハシカにかかり良く助かったものだと言われた。それ以来、好き嫌いの多い腺病質の子になる。

母は村の娘さん達にお裁縫を教えていた。
校長住宅は十畳、八畳の二間続きの部屋に廊下を挟んで八畳のお裁縫室と、六畳位の鳥部屋があった。これは父の趣味でジュウシマツ、ホホ白、うぐいす等の入った籠がずらりと並んでいたが、鳥のフンで部屋中臭かった記憶しか残っていない。
お裁縫室には、大勢のお姉さん達がお裁縫を習いに来ていて、賑やかに話をしながら楽しそうなので、ちょくちょく遊びにいった。その当時は今のように電気のアイロンはなく、炭を背中に乗せた鉄の重い火のアイロンを使っていた。
大勢の人が次々使うので、あたたまっているか解らないので、ツバを指につけてコテにちょっとつけてジュッといわせるか自分のホッペに近付けて熱さを感じ取って使うかしていた。ある時、まだ4歳位の私は大人のまねをして自分のホッペにペタッとくっつけてしまった事があった。大分長い間、私の右のホッペにコテの跡がくっきり残っていた。
ドア一つ開けて校舎に入ると、教職員室があり、放課後、母はよく手作りのおやつを運んでいた。秋、さつま芋が取れると大きな蒸かし器で熱々のところを持って行くと必ず一番大きいのに手を出す先生がいた。小路先生と言い、月布施生まれの男の先生で単身で村のどこかに下宿していた。
冬になると、鱈子が大好きで、口一杯に頬ばって教員室へ遊びに行った。小路先生に見付かって、和ちゃん何口に入れてるの?と聞かれ、大きな口一杯見せてやった。それ何?と聞かれて、”チンポゼゼ” エッ何?”チンポゼゼ” エッ何?”チンポゼゼ”。何度も繰り返し言わされて他の先生も一緒にワアワア笑いまくられたことがあった。小さかった私にはチンポの意味が解ろう筈がなかった。(佐渡でチンポは男性のシンボルを言う。ゼゼは魚。)

つづく


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