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母は箱入り娘【3】

2018年7月3日 (火)

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私が小学校一年生に入る時、父は水津村野浦小学校長として転任、一家は移住した。
ここも学校は高台にあり、部落は海岸に沿って建っており、山形五衞門と言う庄屋の屋敷内の一部が校長住宅になっていた。深浦に住んでいた時は暗くなると電気はなく、ランプ生活だったが、野浦へ転勤と決まった時、母はランプ生活から解放される事を期待して、電球数個を小木町で買い求め、勇んで引っ越したのに、またもやランプと聞いてガッカリしたと言う。学校から帰ると私と姉は自分のお弁当箱を洗う事と、夕方はランプ掃除する事を義務づけれていた。手が滑って何個ホヤを壊したことか。(ランプの火を覆うガラスの筒)
夏になると海が子供達の遊び場になる。泳ぐ事より、岩と岩を渡り歩いて小さな貝を取ったり、ヒトデ、小さなカニなど取って、家に帰るのも忘れる程だった。お昼寝をさせようと色々騙しすかしして私を寝かせるつもりの母が先に眠るのを待って、そうっと抜け出し、夕方まで遊びほうける毎日だった。夏の間は楽しい海も冬になり、海が荒れると高波が押し寄せ、県道をさらって翌朝起きて見ると、道路がなくなっている事が何度かあった。夜は凄まじい音に眠れなくて、雷と同じ位怖かった。
日曜日、一家して水津の燈台へ遊びに行く事になり、英子さんのお下がりでとても気に入ったワンピース(薄黄色で、腰の所に切り替えがあり、スカート部はギャザーで、胸の所にお花の飾りが付いて、しかもシルクで今でもはっきり瞼の裏に焼き付いている)を母に出してもらい喜び勇んで着たところ、ワンピースの裾からズロースが10㎝ものぞいてしまう。その当時は着る物は殆んど母の手作りで、肌着からズロースの果てまで母が縫った物だった。(ズロースとは今で言う下着のパンツの事)どうしてもこのワンピースが着たくて母がいくら反対しても、「どうしてもこれを着て行く」と言い張り、とうとうズロースをはかないで出掛けてしまった。お陰でしゃがむ事も出来ず、日頃のおてんばがウソの様なしとやかやな一日で、あまり楽しくなかったような気がする。

つづく

次回も母の生活振りです


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